9/10 数学・別解発見ゲーム | 勉強もたまには教える数学塾

9/10 数学・別解発見ゲーム

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弊ブログ 8/20、8/27 で、ひとつの問題に対していろいろな解答があることを紹介させていただいた。
数学では、スタンダードな解答のほかに、いわゆる別解が存在することが多い。

ところで、教科書では、本文の記述としては、例題とその模範解答を示し、そのあとに似たような問題を解いてもらうようになっている。
学校や塾の授業もこのようなやり方が多いのではないだろうか。
つまり、「問題を解く」ことは「与えられた方法を使いこなすための訓練」になっている。

たしかに「習うより慣れよ」のとおり、計算問題や単に方程式を解く問題などでは訓練は欠かせないので、その限りでは教科書のやり方は正しい。

しかし&しかし、このようなことばかりやらされていると(ご自分で章末問題や問題集を積極的におやりの方は別にして)、「数学の勉強とは、与えられた方法を使って問題を解くことだ。」と思ってしまう生徒さんが現れてもふしぎはない。
現に弊塾(ブログ上でなくて実在の塾)でも、ちょっと見慣れない問題を出すと、即座に「解き方を教わっていないからできない。」と言う生徒さんにたびたび出くわす。

このような生徒さんにたいして、「そんなことでは困る。だいたい数学とは創造的な学問であって、自分のアタマで考えて問題を解決していくものなんだよ。」と言ってみても、ほとんどの場合(言い方は悪いが)「馬の耳に念仏」である。
なぜなら、上記のような生徒さんは数学がキライなのだ。
早いとこ問題の解き方を教わって、クソ面白くもない問題をてっとり早くかたづけてセイセイしたいのだ。
「自分のアタマで考えて問題を解決していく」なんてシンドイことはマッピラご免なのである。

では何故この生徒さんは数学嫌いなのか?
その理由のひとつは、はじめに書いた教育方法の結果、「数学の勉強とは、与えられた方法を使って問題を解くことだ。」とこの生徒さんが思ってしまったことにあると思う。

「与えられた方法を使って問題を解く」
こんなことがたのしいだろうか?
単純作業がキライな人間、他人から指図されることがキライな人間ほど たのしくないと思う。
たのしくないことはキライになって当然である。

こういうことにならない一つの方法として、我田引水だが、別解を考えることをおすすめ申しあげる。
教科書に書いてある解答、先生が教えてくれた解答 以外の解答はないか?
ご自分の考えだけでは思いつかない場合は、問題集や参考書をひっくり返して似たような問題の解答を見てみるのもよい。

それでは自分のアタマで考えることにならないじゃん?
と反論なさるかもしれないが、目的のためには手段をえらばないのが別解発見の奥義なのである。
たとえば弊ブログ 8/20 の最後の別解では、長さが等しいことを証明する定番手段である三角形の合同を捨てて、円周角で攻めている。

たとえとしてはちょっとズレた感じはするが、要は、一般的な考え方から頭脳を解放してやり、好き勝手、やりたい放題にやっていただきたい ということなのだ。

お友達と別解発見を競って飲用液体を賭けるとかゲーム化するのもおもしろいかもしれない。
まあ、それも好きにおやりください。


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