3/21 若者ニ告グ! | 勉強もたまには教える数学塾

3/21 若者ニ告グ!

最近、「若者たちが無気力になったのは、日本の社会が、若者たちに夢をもたせることができないような貧乏で荒廃寸前の社会になってしまったからであり、日本の社会をこのようにダメにした大人たちが悪い。」という論評をしばしば見かける。

戦犯である大人の一員たる愚輩が言うのは愚の骨頂もいいところだが、たしかに、この論評はかなり正しい。
若者の皆さんに謝らなければならない。

しかし、若者の皆さん方がこの論評に賛成なさるのはもちろん結構なのだが、皆さんの中には、

「そうだそうだ。大人たちが悪い。おれたちはちーとも悪くない。おれたちは運のわるい被害者だ。ついてねえや、こんちくしょう。」

と、その上にあぐらをおかきになって、あいかわらず無気力のまま日々是無為日をおきめこみになり、高僧の悟りのごとく、行く雲や流れる水のようにいっさいをなりゆきにまかせるご心境でお過ごしいただいている方々もいらっしゃるようである。

そのような方々にたいして、「戦犯のくせに何をぬかすか。」と叩かれるのを承知のうえで、ひとこと(ふたこと、みことになるかもしれないが)言わせていただきたいと思う。


夢をかなえることがきわめて困難な、貧乏で荒廃寸前の日本国に生を受けられたこと、まことに不運で、ご同情申し上げる。

だが、その不運を己の運命として超素直にうけいれてしまい、その運命に唯々諾々と従って生きることで、貴殿はしあわせなのだろうか?

死期は誰にも平等にやってくる。
天皇陛下にも、朝青龍にも、イチローにも、松井秀喜にも、上戸あややにも、スマップにも、佐藤琢磨にも、黒田あゆみにも、そして貴殿にも、死期は確実にやってくる。

死ぬ1時間前、貴殿は何を想うだろうか?

「おれの人生、充実していた。くるしいことも多かったが、せいいっぱい生きて、たのしかった。」

私事で恐縮だが、愚輩はこう想って、死んでいきたい。

そのためには、運命に唯々諾々と従って生きるのではなく、己の夢の実現のために運命と闘わねばならないだろう。
それは、勝算がきわめて小さい闘いかもしれない。

だが、闘うこと、それ自体が大事だと思う。
闘わずして白旗をあげてばかりいたら、死ぬ1時間前に前記の想いはできない。

愚輩はそう思うのだ。


言わせていただきたかったことは、以上である。

これをどうお受けとりになるかは、当然ではあるが、全く貴殿のご自由である。

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(補足・3/22)
上記の文章では、「安らかに死ぬことために、生きているあいだ努力せよ。」と、「死ぬ」ことが主役のように受け取られかねないが、そうではなくて、主役はあくまでも「生きる」ことである。
すなわち、愚輩が申しあげたいのは、
「己の意思で運命を切り開き、いきいきと生きていただきたい。 そうすると、結果として、オマケとして、安らかな死をむかえることが付いてくる。」
ということである。
ただ、そのように書くと、愚輩のきらいなお説教調になってしまって面白くないので、上記のような書きかたをさせていただいたわけである。