4/11 若者ニ告グⅡ
勉強も教える通信教育受験塾の捨面子(シャメンツ)です。 3月21日に[若者ニ告グ!]というタイトルで、「己の運命をご自分の意思で切り開いて、いきいきと生きていただきたい。」旨の記事を書いた。 しかし、これでは若者の皆さんに対して中途半端な言い様であることに気がついた。 気がついたきっかけは、数日まえの朝日新聞の[声]欄に載っていた19才の短大生の方の[若者は目標を必死に探そう]というタイトルの投書である。 それによれば、「やりたいことが見つからない」若者が多いそうである。 やりたいことがはっきりしていないのでは、羅針盤(最近はGPSらしいが)のない船のようなものだ。 小生が申し上げた「己の運命をご自分の意思で切り開いて云々」以前の問題だ。 小生がゴニョゴニョ言うよりも、百聞は一見にしかず、上記の方の投書をそのままご紹介しよう。 あわせて、同じ朝日新聞の4月10日付けの同じ欄に載っていた19才大学生の方の投書も紹介させていただく。 [若者は目標を必死に探そう] 最近いろいろと話題になっているフリーター問題。 私の友人にもフリーターがいる。 フリーターでも目標を持っていたり、人生の経験として役立てたりしている人もいる。 しかし、フリーターの友人たちの多くが「やりたいことが見つからない」と声をそろえて言う。 私は福祉の分野の短大に入り1年。 その友人たちに「いいよね、やりたいことが見つかって。うらやましいよ」と言われた。 とんでもない、自分の進路を考える大学受験期を迎えたときは本当に悩んだ。 私だって何をやりたいのか、自分には何が向いているのか、見当がつかなかった。 しかし、「やりたいことがない」なんて言い訳にすぎないと考えて、自分探しをした。 母が福祉の仕事に携わっていることに加え、10年前から要介護状態にある祖母の存在が大きなヒントとなり、福祉を学ぶことにたどり着いた。 自分なりにこれでよかったと思える。 それは、自分の進路をどうするか、あのとき必死になれたからだと信じている。 悩んでいる人たちは、自分を模索する努力をまず始めてみてほしい。 悩んで、苦しんで、損することなどないということを伝えておきたい。 [自分の進路は行動してから] 「若者は目標を必死に探そう」(6日)を読んだ。 しかし、いつまで悩んでいても、何も変わらないままだ。 私は、高校生時代には機械や電子などに興味があったが、現在は環境情報学部に所属している。 地球を取り巻く環境が悪化していることに影響を受けたのが、志望した動機だ。 入学当初は、これでよかったかなという思いもあったが、次第に自分のやりたいことが見えてきたように感じる。 それは、私にとって意外なことだった。 1年もたつと、自分の考えが次第に変わってきたことに気づいたのだった。 周りの環境が自分をつくるとも思った。 将来の進路を考えて悩むより、自分の進んだ進路で悩む方が重要ではないだろうか。 そうすれば、意外なところで、やりたいことが見つかるかもしれない。 勉強も教える通信教育受験塾塾長・捨面子 |