Qちゃん と「メンツ」 | 勉強もたまには教える数学塾

Qちゃん と「メンツ」

ご存知とはおもうが、「Qちゃん」とは、かつての世界記録保持者で、国民栄誉賞をも受賞したマラソンランナー高橋尚子のことである。

今日は、古いはなしで恐縮であるが、Qちゃんがアテネオリンピックの出場権を事実上獲得できないことになってしまった2003年東京国際女子マラソン記念大会での彼女のレースはこびについて、書かせていただく。

レースのもようは、つぎのようであった。

気温は24度という高温。 しかも、スタートから折り返し地点までの大部分が強い向かい風、という悪条件であった。

この悪条件のなか、スタートした日本が誇る世界記録保持者 高橋尚子は、向かい風をものともせずに飛び出し、15キロ地点までのタイムが自己最高を出した2001年ベルリンマラソンのときのタイムを23秒も上回る驚異的なハイペースでかっとばした。
そして、折り返し直後には、併走していたエチオピアの強敵アレムを、赤子の手をひねるが如く、あっという間にいやというほど引き離してしまったのである。

このみごとな走りっぷりに、沿道の観衆は興奮をかくしきれず、Qちゃんコールは最高潮に達した。

しかし、である。

そのあとは、追い風になったにもかかわらずペースが落ちはじめ、追い上げてきたアレムに39km付近で抜かれると、さらにペースが落ち、彼女の脚は、気の毒にも、カモシカから食用牛に変わってしまった。

結局、アレムに次いで2位、日本選手ではトップでゴールインしたものの、2時間27分21秒という予想もしない悪い結果(彼女の最高記録は2時間19分46秒)におわり、前述のように、アテネオリンピック出場権を獲得できないことになっていくのである。

このレースがこのように悪い結果になってしまった原因は、高温かつ強い向かい風という悪条件のもとで、自己の最高記録を上まわるハイペースで飛ばしたため、レース前半でエネルギーを消費し過ぎたことにある、とおもう。

しかし、こんなことは、百戦錬磨の高橋にとっては百も承知、二百も承知のことであって、十分に予測できたことであり、歯に衣着せずいわせてもらえば、「無謀」としか言いようがない。

なのに、なぜそんな無謀な行動に出たのか?

彼女のコーチである小出監督はなにをしていたのか?
レース中、小出監督は運転手つきのバイクを使ってQちゃんの先回りをし、沿道から彼女に何回もどなっていた。

しかし、レース後のQちゃんの談話によれば、小出監督の声は観衆の声援にかき消され、二度しか彼女の耳にはいらなかった、とのことである。

ということは、彼女のレースはこびは、ほとんど彼女自身が仕切っていたということになる。
彼女自身の意思で、前述の無謀な行動を選択した、と考えられる。

この無謀な行動に出た理由は、彼女がメンツにこだわってしまったからではないか、とおもう。
「私は世界記録保持者なのよ。私の脚は世界最速よ!」というメンツである。

このメンツにこだわりすぎた結果、「気温がなによ。向かい風がなによ。私の脚はそんなものに負けっこないわ。」となったのではないだろうか?

この推論がまちがっていなければ、彼女は、くだらないメンツのために、アテネオリンピック出場権を棒に振ったわけであり、このレースのためにおこなった米コロラド州ボルダーまで出かけての高地トレーニングや厳しい節制などのすべての努力を、水泡に帰させてしまったのである。

げにおそろしきはメンツなりけり。

なお、アテネオリンピック女子マラソンは、日本の野口みずきが金メダルを獲得した。
タイムは、2時間26分20秒であった。



ところで。

ところで、わが愛するQちゃんが、もし、この駄文をご覧になって、(ご覧になるわけないが)
「それは見当違いもいいところだわ。私はあのレースに賭けたのよ。世界記録更新を賭けたの。私の "華麗なる賭け "だったのよ。」
と反論されたとしら、愚輩にはお返し申し上げる言葉はない。

なぜかって?
それは、つぎのような名文句があるので。

"人生はおそれを知らぬ冒険か、無か。"(ヘレン・ケラー)


(蛇足)
愛称「Qちゃん」の由来は、彼女がリクルート陸上部の新入部員歓迎会において「オバケのQ太郎」の歌を熱唱して、おおいに盛り上がったことによるものであり、ルックスとはまったく関係がない。